「フレンチが食べられる山荘」として多くの人に愛されたケリエ山荘
ケリエ山荘が誕生したのは1978年。
蜜谷弥都彦(みつたに みつひこ)・栄(さかえ)さん夫妻がオープンされた洋風山荘です。
石川県金沢市から車で1時間という秘境のような立地にも関わらず、モダンな内装で本格的なフレンチが楽しめるとあって、オープン当初から夏は登山客、冬はスキー客で大人気の宿でした。
看板メニューは、日本海の幸をたっぷり煮込んだトマトベースのブイヤベース。
これが絶品で、特に寒い冬にはお客様に喜ばれたそうです。
多くの旅行客に愛され40年以上も営業を続けていたケリエ山荘でしたが、2017年のある日に時計の針が止まります。
女将の栄さんが病に倒れ、休業を余儀なくされたのです。
そして翌年、栄さんは他界。
しかし栄さんは生前、ケリエ山荘が再び多くのお客様が集まる賑やかな場所に戻ることを強く願っていらっしゃったそうです。
そんな女将さんの遺志を継ぎたいと願うご家族によって、ケリエ山荘は2020年7月31日に新しい支配人の足立を迎え、再オープンしました。
亡き女将の後を継ぐのは、新支配人の足立泰夫です。
ケリエ山荘支配人の足立泰夫です。
支配人といえば聞こえはいいのですが、支配人とは名ばかりの何でも屋さんという方が正解かもしれません。これからマネージャーの光太郎君と二人三脚で、ケリエ山荘の再興を目指します。
さて、ここに至るまでの経緯は、クラウドファンデイング(後述)の説明文の中に書かれている事がほぼ全てですが、決して楽な道のりでなかった事もまた事実。
多くの人たちが関わって、最後のワンピースであった私が嵌まった事で、今回の物語は飛躍的に動き出しました。と書くと、最後は一見順調に進んでいったかのようにも見えますが、コレがなかなかイバラの道でもあったわけでして…。
二十代中頃から、家業の小さな繊維問屋を手伝いながら、休みともなると川や山へ出かけて行くという生活を送っていました。川といえば手取川水系、山といえば白山山系…が野遊びの中心となるフィールドでした。
同時に大学を卒業するまではほとんど興味のなかった温泉にもハマり始めたのもちょうどこの頃。
白山麓の山、川、そして温泉は、いつもセットでそこにあった訳です。その頃の遊びの蓄積が、今になって繋がり、そして白山一里野温泉という場所で収斂するという、奇妙なご縁にも不思議な感慨があります。
形式上はこの五月までやっていた金沢市湯涌温泉のゲストハウスを畳んで、ここ一里野温泉へ移住する事になった訳ですが、未だに日本を、いや、世界を席巻しているコロナ禍は、その終焉の気配すら見えません。
私がゲストハウスを閉める事を決断した、最後のトドメもやはりコロナ禍の収束が見えない事による事業の先行き不安と資金の枯渇が大きな要因でした。
巷に蔓延る「ウィズ・コロナ」とかいう耳触りの良い言葉で誤魔化されている気もしますが、やはり個人的な気分としては「アゲンスト・コロナ」でしょうか。
その根絶もまだ見込めないコロナウィルスですが、早晩ワクチンも開発されていき、コロナ後を含めて、これからの旅のスタイルは大きく変わっていくような気がします。
それは今まで旅行業界が経験した事もない大きな変化です。
いわゆるメジャーな観光地を巡る旅が無くなってしまうとは言いませんが、これからは旅する人たちや仕事をする人たちのベクトルが、自然の豊かなところ、辺鄙な場所だけど居心地の良い場所を目指していくだろうという事は容易に想像できます。
その中でかつては冬場のスキー場として、大いに隆盛していた一里野温泉スキー場、そして自然豊かな白山登山のロングコース「加賀禅定道」も改めて脚光を浴びる可能性やポテンシャルを秘めているような気がします。
スキーやスノボだけではなく、トレッキングや山歩き、スノーシューハイク、渓流釣りや沢歩き、そしてバリエーション豊かな食の提案…。
ここ白山一里野温泉を起点とした白山麓の楽しみ方、自転車やバイクの旅人を含めたあらゆる旅人たちへ、古くて新しい旅の愉しみ方を伝えていくのが、私たち新生ケリエ山荘のこれからの新しいミッションです。
そしてその旅のお手伝いが出来るのなら、生まれ変わったケリエ山荘新支配人として、それ以上の喜びはありません。
白山一里野温泉 ケリエ山荘で会いましょう。
クラウドファンディングについて
開業に先立ち、1ヶ月間クラウドファンディング を行いました。
再び人が集まる場所へ。43年間愛され続けた白山麓の宿「ケリエ山荘」が3年ぶりに復活します。
おかげさまで大変多くの方にご支援、SNS上でのシェア・リツイートを頂戴し、無事目標金額を大幅に上回る2,421,463円を達成しました。
この場をお借りして重ねてお礼申し上げます。
ご協力いただきましてありがとうございました。